共に挑み共に成長発展! JPC松井の今月のレポート
いつもお世話になっております。今月もちょっと良い話、配信させて頂きます。
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102歳のおばあさんの死
090701-01

先日6月9日に私の母方の祖母である牧野 愛が102歳の生涯をとじた。
このおばあさんには多くの事を教えられた。
目の前で灰になるまで5人の子供たちと13人の孫、24人の曾孫に多くを教えてくれた。



人生観を変えた衝撃的な言葉



このおばあさんが、私にとって一番衝撃的だったのは約15年前のことだった。
80歳を過ぎたおばあさんに誕生日のお祝いを電話で伝えた時のことだった。

「おばあちゃん、お誕生日おめでとう。これからも長生きしてね。」

返って来た言葉は予想とはまったく違う言葉だった。

「なに無責任なことを言うんだ。お迎えを待つだけの生活がどれだけ辛いかあなたには解らないでしょう。勝手なことを言いなさんな」

「えっ・・・・」
ありがとうのひと言くらいもらえると思っていた私の思惑はもろく崩れ、衝撃的な言葉だった。
今思うと偽善心が読まれたのかとても予想できない言葉だった。
その後は何を話したかは覚えていない。


しかし、その後、私の中の人生観が大きく変わった。
私にとっての人生とはなぜか74歳だった。
勝手にそう思っていた。
なぜか?
今回の祖母の死で気づくが、子供ながらに初めて死を体験したのが父方の祖父。
確か74歳の祖父の死だった。
ちょっと問題もあったようだが。
この私も当時5歳の経験が僕の人生の物差しをそうさせていた。
その為、それまでの人生がとても生き急いでいた。

人生時計の24時を74歳に設定すると、人生の半分は37歳。
4分の1は18歳である。
人生の3/4 は55歳。
そこからはもう、アフター5である。
これでは当時29才で別業種での独立し、
仕事面でふりだしに戻ったと思っていた私も急がなくてならない。


しかし、おばあさんの言う事を考えると74歳以上生きてしまうと計算が狂って大きな問題が生じる。
人生辛くてしょうがなくなってしまう。
可愛い(?)孫に優しい言葉をかけられても素直に喜べない事になってしまう。
これは、まずい。
75歳から先をその時点で調整しようにもこれは難しい。
今のうちに修正しなくては。

そうだ、100歳にしよう。
そう、思うと人生の時計が大きく戻った。
人生の中間が37才から50才に。
3/4が75歳。
そして30才は午前11時から午前8時に戻ることになった

そこで考え方が全然変わってきた。
そんな転換期を迎えた瞬間だった。




祖母が遺してくれた3つの事



そして祖母のお別れの日。
祖母は至ってさらりと旅立っていった。
遺言らしく告別式はなく。
前日は密葬と呼ばれる集まりの翌日は火葬場に集合。
遺体到着直後すぐに燃やすことになった

とてもシンプルで短時間だった。

お通夜と呼ばれる集まりも完全に身内が普段着で集まり食事をした程度。
集合時間も17時と言ってもみんなバラバラ集まる程度。
18時過ぎに入ってきた親戚にうちの5才の息子が言った一言に象徴される
「こんばんは~。おじさん。パーティーもう始まっていますよ。」

そう、最後の瞬間まで祖母はひ孫の代までに3つの事を残して逝った。


1.お通夜はパーティーであること。亡くなった人を囲んでみんなで食事をするもの
2.人生とは100歳以上最後まで生き抜くこと(君はいくつまで生きる?→100歳よりもっと生きる!)
3.死は寂しい事(ふざけて言う「ぶっ殺す」を言わなくなった)




5才の息子にとって人の死は初めての出来事。
私が体験した74歳のお爺さんの死とは違い、100歳以上の人生を心の中に刻んでいた。
そして驚くことに人一倍声をあげて泣いていた。
そんなに接点があった訳ではないが悲しかったんだろう。
おおばあさんの編んでくれた毛糸のベストを大切に持っている。


残りの人生をおばあさんはトランプと洋裁で過ごしたようだった。
外へ行くことを好まなかった祖母は趣味のトランプと手芸なで手を動かし
100歳位まで殆どボケずに過ごした。
流石に最後の2年くらいは半ボケだったが十分に人生を全うした。
私を叱った15年前から昨日まで
最後の最後まで子供たち孫、
そしてひ孫たちをひと回り成長させて旅立ったグレイトグランドマザーだった。

愛さんありがとう。
私たちに人生を与えてくれた事を心より感謝します。
安らかにお休みください。


松井洋治
株式会社ジャパンパーソナルコンピュータ
http://www.japanpc.co.jp
在宅ワーカー支援協会
http://www.zaitaku-sien.com
代表取締役/代表理事 松井洋治

〒220-0011 神奈川県横浜市西区高島2-10-13 横浜東口ビル402-A
TEL:045-444-2259(代) FAX:045-444-2258

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信じる力、続ける力
みなさんこんにちは
JPC松井です。しばらくのご無沙汰大変失礼いたしました。
あまりの状況変化に原稿を4つも没にしてしまいました。
その結果、最近、どうしたの~。楽しみにしていたのになんてお声をいただきました。
感謝です。


そして結論として今回は日々の中から変化の少ないものをお伝えしようと考えたわけです。
今回のテーマは、「信じる力、続ける力」をお伝えします。




メインイベントに向けた特訓!



私の息子の話です。私の息子は現在5才。
幼稚園で言うと年長さん(彼は保育園だが)

そんな息子と毎朝約20分ほど時間を共有している。
運動?遊び? なわとびとボール遊びをしている。

今年のはじめ 彼はボールでのドリブル(まりつき)が2回しかできなかった。
一回ついて二回目には力の加減が出来ずボヨ~ンとどっかに飛んで行ってしまう。

9月にある保育園の運動会がこの4年間のメインイベントだ。
その際ドリブルとなわとびが集大成。
ここを華々しく飾りたくお正月休みに試しに2人でやってみた。
「あちゃ~ぁ」2回が限界。
どうしよう100回は出来ないと本番では通用しない。

よっしゃ~特訓だ!
意気込む親を横目に彼の頑張りはそう簡単には報われない。
そう、決して先天的に運動が得意な方ではない。
まっ、わたしの子だから。納得もする。


さあ、どうしよう。親と子どもの関係は定番通りケンカになる。
「もう、できない」「もう、やらない」
ここからが本番だ。
上手くなだめすかし続けさせる。
10回への挑戦。

すると涙ながらにやった最後の1回で10回へ到達。
泣きながらやったことで力が抜けてまぐれで出来たのだ。
そこからが親子の一進一退。

3か月かけて300回へ記録は到達した。



特訓の途中で気付いた「これは違うな」



そして次の挑戦が、なわとび
大人には当たり前に出来るなわとびだが5歳児長男には新たな試練だ。
これは、ドリブル以上に困難だ。
しかし、私は自分に言い聞かせた。
信じてやろう。

ドリブルも最初はできなかった。
大切なのは信じて続けること。
いつの日か絶対にできる日が来る。
しかしひと月経っても3回が限界。

しかし、動きながら5~6回できるようになってきた。
ついつい「止まってじゃないとダメ。」なんて言ってきてしまったが
「これは違うな」とこちらも気づきだした。


まだ、時間はある。
信じる力(こちらの)も付いてきた。
毎日やる事に専念しよう。
その為にも泣かしてはいけない。
そうだ、こつは、泣く前に辞めること。
これなら絶対に泣くことはない。

そして泣く原因は 連続で出来ない時。
そうだ。
出来るだけしかやらせず、つっかえるとついつい挑戦をむきになってさせてしまうが
これをすぐに辞めさせよう。
そう思い、試してみた。


効果的メン。


今までは、もう一回で引っ張られていたのが、拍子抜け!えっもう終わり?
これがいい。明日に繋がる。
「信じて我慢」を繰り返す。

するとどうだろう遂に動きながらでも30回が出来るではないか。
小さい体を思いっきり使い、ふらふらするも何とか続いている。
人間続けていれば必ずできる。
よしまた、実績が出来た。

これは、会社でも同じ。
出来ない社員さんを信じよう。
もちろん自分も信じようと確信に変わった瞬間だった。




信じることの気づき



まとめ
直近6か月の気づき
1.教育とはやらせることではなく常に気にとめて見てあげること
2.今日どれだけできたよりも今日も続いたこと。やりすぎない、続けることが最大の効果
3.信じることの大切さ。ビジネスもなんでも信じてやり続ければたいていの事は誰でも絶対にできる

※たいていとは誰かが出来ていること。


この3点が子どもの教育や人財育成・ビジネスにも共通したことである事を身を持って確信した。
最後になりますが息子の30回のなわとびと100回のドリブルをYoutubeにてお披露目しよう。

ドリブルでは途中、型に入る。
ここからは安定する。
我が家ではこれをおじいさんスイッチという。
スイッチが入りなぜか背中を丸めおじいさんポーズになる。
彼の中ではこの体制が一番安定するのだろう。
これも面白いので是非見て下さい。

それではまた。


松井洋治

株式会社ジャパンパーソナルコンピュータ
http://www.japanpc.co.jp
在宅ワーカー支援協会
http://www.zaitaku-sien.com
代表取締役/代表理事 松井洋治

〒220-0011 神奈川県横浜市西区高島2-10-13 横浜東口ビル402-A
TEL:045-444-2259(代) FAX:045-444-2258

            

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プロフィール

JPC松井洋治

Author:JPC松井洋治
松井洋治(マツイヒロハル)
昭和40年11月生
株式会社 ジャパンパーソナルコンピュータ
代表取締役

◆出身
神奈川県横浜市
◆趣味
2015年11月に月1回ゴルフで
シングルになる。
バイク(息子の誕生記念で買った)
harley SportsSter'03
ホノルルマラソン継続参加(今年度6回目挑戦予定)
◆家族
妻 子供二人
◆スポーツ
サッカー6歳~18歳 ゴルフ22歳~ 
最高スコア79、しかし平均は98 
実力はもちろ(#^.^#)。

◆好きな食べ物
  ハーゲンダッツの抹茶アイス
◆MY ブーム
息子との毎朝のジョギング・縄跳び

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